2021年12月29日水曜日

ACTを通過駅としてこれからも活動していきます。

YMCA ACT運営委員 後藤 美紀

私とYMCA ACTの出会いは、1991年にさかのぼります。英会話スクールの生徒募集のチラシを手にしたことがきっかけでした。当時はビルの1階から3階を使用し、子どもから大人までたくさんの人が学んでいました。イベントも多く、パーティーは毎回盛況で先生方やスタッフの皆さん、日本語クラスの生徒さんたちとも交流を深めることができました。気軽に異文化に触れる場でもありました。

2000年ACTに運営委員会ができることとなり、会員の中から委員をということでお声がけいただきました。ACTは地域密着型のブランチではなく、通勤・通学途中に立ち寄るターミナル型のブランチで、その初代運営委員の中にミャンマー医療支援の高倉茂美さん、船山道敏さん、横浜AIDS勉強会、H.I.Voiceの岡島龍彦さん、中学校教員の渡部友晴さんがおられ、地域を持たないACTの地域活動に学校への出前授業という方向性を与えてくださいました。

2003年6月、ACT英語講師で開発教育協会「DEAR」のタスクチームとしてこのワークショップの開発に参加された新谷真知子さんのファシリテートのもと「世界がもし100人の村だったら」(以下「100人村」)のワークショップがACTにて開催されました。それがきっかけとなり新谷さんや上條直美さん(横浜中央YMCA)のお手伝いとして「100人村」に参加する機会が多くなっていきました。かねてよりAIDS文化フォーラムin横浜に参加されていた運営委員の岡島さんや、当時横浜YMCAのスタッフだった大江浩さんから「100人村」のAIDSバージョンができないかと打診がありました。作成期間が3カ月という非常にタイトなスケジュールではありましたが、2004年8月AIDS文化フォーラムin 横浜に初めてYMCA ACTとして参加しました。この時はまだ「100人村」中心のプログラムでした。横浜AIDS勉強会やH.I.Voiceに参加されていた山村まゆみさんが2005年に運営委員となり、ACT100人村(「100人村」AIDSバージョン)のメンバーになっていただきました。それによりプログラムはHIV/AIDSを中心に展開できるようになり、ACTのオリジナルになっていきました。

試行錯誤で始めたプログラムでしたが、歴代のACTのスタッフ、数多くのボランティアの皆さんがACT「100人村」にかかわってくださいました。本当にありがたいと思います。またプログラムに参加された学校の先生、生徒の皆さんからも寄せられたたくさんの意見や感想は貴重な財産でした。今では依頼主(主に中学校)の要望に合わせて、細かく対応できるプログラムに成長したと思います。

ACTのターミナルは終着駅ではないです。これからもACTを一つの通過駅として、さまざまな活動が拡がっていくと思います。


2021年12月27日月曜日

たくさんの出会いをありがとう!

YMCA ACT運営委員 齊藤 充

大学生でバイトばかりしていた私は「ボランティアは生活に余裕のある人のすること」と本気で思っていました。なぜ、そのような私がYMCAに30年近く関わることができたのかを思い返してみます。

大学時代、父の会社が倒産し、親が離婚し、借金の抵当に入った一戸建で私はひとり暮しをしていました。自由でひとりで生きるのは楽しかったですが私の栄養面を心配した叔母宅で月2-3回食事をいただいていた。叔母には一生かけて恩返ししようと思っています。

その叔母の子(従姉)がYMCA ACT(以下、ACT)の職員でした。「楽しいから手伝って」というお願いを受け入れるのは自然の流れでした。初めてYMCAに行った日、圧倒されたことは忘れられません。今思えば転機の日だったと思います。ALL横浜YMCAの英語学校夏キャンプの顔合せで、後から知りましたが、厚木のスタッフであったIさんが各YMCAから集めたリーダーたちばかりでした。東大生から鎌倉刀職人まで幅広く圧倒的な個性がぶつかり合うことに融合してキャンプが次々と決まっていきました。終わったと思ったら、即会場を移動し大激論しながら大宴会となりました。

そして、私はYMCAにはまりました。その後30年近くたった今でもYMCAに関わり続けていますし、社会人として親として、この経験は大いに役立っています。

私はYMCAの理念に最初から賛同して30年やってきたのではなく、後付けで素晴らしい理念だと理解しました。人とのつながり・きずなでやってきました。


1992年ACTの活動はKIDDY SEAGULLSで始まりましたた。私は立ち上げメンバーの中心になり、メンバーもDAYプロで100人を超え、リーダーも一気に増えました。スタッフにも恵まれ思いついた企画は実施することを認めてもらえました。横須賀ベースのアメリカ人と日本人の障がい者と英語学校の生徒で宿泊キャンプを実施したこともありました。大成功でしたが安全面が問題視されて1回で終わってしまいました。今実施したら国際的な評価を得られるような気がする。

大卒後起業を目指した私はYMCAから少し離れていましたが、ある日ACTのPARTYで高橋建太(ケンタ)さんに会ってしまいました。強烈な彼の個性におされ活動を再開しました。中心メンバーではなく、私に影響を与えた諸先輩のようにリーダーを育成することに集中しました。若手が成長する姿を見るのは大変楽しく感じました。

ユースリーダーシップ開発事業委員会(YLDC)、ワイズメンズクラブ、運営委員会にも委員として関わり、多くの個性と出会えました。

最後に、たくさんの出会いをありがとう!ACT心に永遠に!


2021年12月26日日曜日

違いを認め合い、一人ひとりを大切に過ごしていきます

YMCA ACT運営委員 岩永 めぐみ

今から約20年前、高校1年生になった頃に私はYMCA ACT(以下、ACT)を訪れました。当時は1階にも教室や講師、ロビーがあり、入った瞬間から日本語と英語が入り混じって聞こえてくるようなinternationalでopenな雰囲気だったことを今でも鮮やかに覚えています。Active Communication Terminalという名前の通り、さまざまな言語、背景、価値観を持った人びとが行き交うこの場所で、私のYMCAでの日々が始まりました。

ACTの英語のクラスには、高校1年生から高校3年生の大学入試の直前までメンバーとして参加しました。ユニークな先生たちと、さまざまな文法や表現を学びながら自分の意見を英語でoutputする授業に、通い始めてからすぐに夢中になりました。英語を通して異なる文化や歴史を知ることができた点も魅力的でしたが、何よりも自分とは異なる意見に触れ、お互いの意見を尊重し合いながら議論するという貴重な経験ができたことは大人になった今でもさまざまな場面で生かされていると感じます。

高校卒業後は、ACTのボランティアリーダーとして長く関わってきました。その中でも特に印象に残っているのは、メンバーとリーダーとの関係性です。

リーダーは、メンバーにとって家族でも先生でもない、“近所のお兄さんお姉さん“のような中間的な存在です。リーダーとメンバーが活動を共にしながら、お互いに成長していけるところが本当に好きでした。小学校で落ち着きがないと言われていた子が、ムードメーカーとして生き生きと活動に参加してくれたこと。中学校では引っ込み事案だった子が、ACTの活動では大いにリーダーシップを発揮してくれたこと。緊張とプレッシャーで泣いていた英語のキャンプの最終日、寝る時間を惜しんでたくさん練習してスピーチを成功させた高校生メンバーのこと。多くのメンバーがもがきながら挑戦し成長していきました。私がリーダー活動を長く続けられた理由は、子どもたちの挑戦を応援し近くで支えることに大きなやりがいを感じていたからです。今思えば、リーダーとしての経験が現職である高校教員という道を選んだ原点になっていたのかもしれません。

現在働いている高校には、4月に異動してきました。外国につながる生徒やLGBTの生徒、さまざまな悩みを抱えた生徒など、実に多様な生徒が集まってきています。自信が持てなかったり、将来の展望が見えなかったり、周りと上手くコミュニケーションが取れなかったり。「ちょっと不器用」な生徒たちがACTで出会った多くのメンバーたちと重なります。生徒たちが過ごす社会に出るまでの高校3年間で、彼らが自らの手で挑戦し成長できるよう、違いを認め合いながら一人ひとりを大切に、成長し合う日々を共に過ごしてきたいと考えています。

2021年12月25日土曜日

ACTでの学び活かし明日を楽しみにできる社会を創る

YMCA ACT運営委員 鈴木 ゆりり

「まずはお電話くださいね」。きれいな字で書かれたその手紙を見て、温かい雰囲気を感じたのを覚えています。恐る恐る電話をしたところ、若い女性が出て、驚いた様子とともに優しく案内をしてくれました。きれいな字の書き手は当時の館長さん、優しい声はスタッフさんでした。

それからすぐに、当時(2013年)YMCA ACT(以下、ACT)で開催されていた「SALTY」に参加しました。そこで、ACTをとりまくボランティアメンバーと初めて会い、おもしろそう!と感じたことを覚えています。また、横浜YMCAが指定管理者として管理運営をしていた踊場地区センターに行き、タイ料理の試食会にボランティアとして参加したことが、横浜YMCAとタイのYMCAとの関わりを初めて知るきっかけとなりました。YMCAのことをよく知らないまま飛び込んだ私にとって、目に飛び込んでくる情報をはじめ、YMCAと関わる人やスタッフの方たちの何もかもが新鮮で、「『社会人』の人たちってこんなに素敵でカッコいいんだ」と、ある種の衝撃を受けました。

ACTに週に一度行くことになり、スタッフの方やクラスに通うメンバーと話をしたり、プログラムの手伝いをしました。ハロウィーンやクリスマスなど、季節のプログラムが印象に残っています。

そうするうちに、チェンジ・エージェントとして活動することになり、ミャンマー医療ボランティアの旅への参加など、「ACT」を拠点にしながらさまざまな経験をさせていただきました。

年に一回開催される「One Act Day」でリーダーを任された時は、周りの方々に引っ張っていただきながら、何とか乗り越えてきた印象です。いつも余裕がない私は、楽しみよりも、必死感の方が大きかった気がします。が、終えた後の何とも言えない気持ちは爽快で、それをスタッフの方々やACTメンバーで共有し合う場も、今振り返るととても大切な時間でした。

ACTの経験を通して、社会のしくみをもっと学びたい、知りたいという欲が芽生え、世界は広くて遠いのではなく、つながっていて、もっと身近に感じていいのだ、という気づきが、自分の住み暮らす「地域」について考えること、まちづくりに取り組みたい気持ちにつながりました。今こうして「福祉のまちづくり」に仕事として取り組んでいるすべてのきっかけが、このMy ACT storyにあります。

2021年12月24日金曜日

10年間の出会いと経験に感謝します

YMCA ACT 運営委員 小西 陸

私とYMCAとの関係は高校1年生になる15歳の春からです。今年25歳になるのでもう10年くらいの付き合いになります。最初は月曜日午後7時からの英会話クラスの生徒としてJack先生とTodd先生に楽しく、時にはスパルタに英語力とアウトプット力を鍛えてもらいました。

そのような私がYMCA ACT(以下、ACT)のリーダーとして活動をはじめたのは高校3年生の冬でした。当時の私は早々に進路も決定し、車の免許も取り終わっていい具合に時間がありました。そんな時に、Jack先生からOne ACT Day(以下、OAD)の手伝いをしないか、と声をかけてもらいました。

10代の私は、頭もフットワークも軽く、「楽しいことができれば…!」と軽い気持ちで参加しました。ケンタリーダーやカナリーダー、コジローリーターという年上のリーダーによく声をかけていただき、今までにない経験でした。初めて知らない世界の大人と関わり、みんなで協力しながらモノを作るという経験がとても刺激的で、「楽しかった」と感じました。だからACTのリーダーになることも即決しました。

それから大学生になって、4年間毎年、(青少年育成基金にお世話になりつつ)何かしらのYMCAの国際イベントに参加しました。最初に参加したAPAY (Asia Pacific Alliance of YMCAs)大会で初めて、ACTの生徒として高校3年間学んできた英語を使い、自分の力の足りなさを自覚しました。それから、モラトリアムのつもりで通っていた大学の授業も意味を持つようになりました。

さらに、英語キャンプECGL (English Camp for Global Leadership)のリーダー活動がなければ、英語を鍛えることもなかっただろうと思います。初参加以降のECGLではチューターよりも運営サポートとしてのポジションに立ちましたが、それでも大学4年間、英語を鍛えた一番の要因は、年末のECGLのためという意味合いが大きいと思います。

そして、念願のリーダーとしてのOAD参加もできました。社会人リーダーのプロジェクトの進め方や人の動かし方などは、社会人になった私からするとまさに目から鱗だと思います。

ACTのリーダーとしての10年間で得ることのできた出会いと経験の全てに感謝いたします。ありがとう、そして、これからもどうぞよろしく。

2021年12月23日木曜日

今も大切にしているACTでのフラットな接し方

YMCA ACT運営委員 畑中 十夢

YMCA ACT(以下、ACT)での活動を通じて、一人の人間としての成長をさせてもらえたと思っています。これまでさまざまなイベントの企画に参加しました。One Act Day(オープンハウス)、植樹活動、Kids向けイベント、キャンプ、ECGL (English Camp for Global Leadership)など数え切れません。企画する中で、多くのメンバーたちと、どうしたら良いイベントを作ることができるかを毎週、何時間も議論しました。毎回スムーズに議論が進むことはまず無く、毎回意見の対立や、場合によってはけんかをしていました(笑)。そうした中で、自分の意見をアウトプットする(自分の頭で考える)、リーダーとして行動する(自分の役割や責任を全うする)、チームワークを大事にする、じっくり議論した後に皆で食事に行く(ミーティングでどれだけ揉めても皆で楽しくご飯を食べて心機一転、次のミーティングも楽しむ)、やるからには全力で取り組む…など。人生全体として大切なことをACTでの実体験を通じて学べたと思っています。社会人として仕事をする中でも、それは大いに役立っています。会社では、お互いがここまでストレートに気持ちを交わし合い、プライベートでも仲良くするというのはなかなか難しいと思います。ACTだからこそできた貴重な経験だと思います。人との出会い、皆で何かを一緒にやるということは、無限の可能性を持っているなと思いました。

また、学生時代からACTの活動に参加する中で、さまざまな年代の人たちと話すことができました。学校では、基本的に同じ年代の人しかおらず視野が狭くなるところがあると思います。ACTで自分よりはるかに多くの経験を積んでいる方たちの話を聞くことで、自分の今後を考える上でたくさんの刺激をもらえました。フラットに接するということは、社会人生活の中で自分が後輩と接する時にも大切にしています。

ACTでの経験が無ければ、今の自分はなかったと思います。20代半ばくらいまでACTで多くの時間を過ごしてきましたが、自分の未熟な言動にも辛抱強く真正面から接してくださった皆さんに感謝しています。ACTでの出会いを大切にして、今後も皆さんとACTの外でも何らかの活動を続けれていければと思っています。

2021年12月22日水曜日

ACTでの学び活かし明日を楽しみにできる社会を創る

YMCA ACT リーダー 遠藤 まどかさん

「あの人たち、楽しそうだな。私もあの輪の中に入りたいな」YMCA ACT(以下、ACT)の活動を始めたのは、そんな単純な動機でした。

ある団体のプロジェクトに参加して、そこから紹介された別の活動に参加して、さらにそこに来ていたリーダーから声をかけられて…そんな不思議なつながりでACTを訪れたのは16歳くらいの時でした。

ACTに集まるリーダーたちを見て、これが「友だち」でなく「仲間」なのかぁと思うとともに、私の目にリーダーたちが輝いて見えました。

まだ大人と話す機会も多くない歳からのリーダー活動は、電話応対からプログラム費の予算立て・タスク・スケジュール管理など多くのスキルを身に着ける機会になりましたが、やはり「知って・感じて・考える」Kiddy Seagulls(キディシーガルズ)のテーマが私の中に根付きました。このことは、その後における私の人生において大きな意味を成したように思います。

身近なところから海の向こう側のことまで日々いろいろなことが起きる中、眼をつぶることは簡単です。自分が何もしなくてもきっと私は今日を無事に生きられます。でもそれで満足?今起きていることに、今生きている人に、今の自分ができること、やりたいことは何?自分が描きたいのはどんな未来?何気ない選択は何にどう影響する?日常にそのような意識をするようになりました。

その結果、重度の皮膚疾患をもつ娘を育てた経験から同様の患者と家族のサポート活動を10年以上行い、現在は2団体の代表を務めています。

さらに、コロナ禍の影響を受ける企業や団体が多い中、福祉事業所の販路確保のため事業所製品を複数団体合わせてSNSにて販売する活動を、昨秋から始めました。ネット販売に手をかけるゆとりがない事業所の代わりを担うことで販売が可能となり、また、セット販売することで品数の少ない小さな事業所も大きな事業所も共に生産機会を増やすことができます。一方、買い手は事業所のさまざまな個性ある商品を一度に楽しむことができるのです。私が作りたいことは、ひとりでも多くの人が、明日が来ることを楽しみにできる社会です。悩んだ時は、リーダーミーティングだったら誰がどんな意見を言っていただろうかとイメージしつつ、今日も全力で生きています。